モンゴルに行ってきました。
7泊8日の短い旅でしたが、かなりリフレッシュし、また得る物の大きな旅でした。折角なので思い出を整理して書き留めてみたいと思います。アウトプットは大事。
携帯もほとんど触らず、漫画もあまり読まず、少し(1キロ)だけ痩せて、ホーミーも少しだけできるようになりました。
きっかけをくれ、ツアー中多くのことを教えてくれた友人の岡林立哉に感謝します。どうもありがとう。
《2014 モンゴル土産話》
モンゴルはどうだった?ときかれても、一言で言うのが勿体ないと思ってしまう。良かった、だけでは伝えられそうもないから、もっと言葉を連ねる時間が欲しい。良い旅はいつもそうだ。
でも敢えて短くいうなら、大きくリズムをとる、そんな意識になる旅だった。いつもは4小節単位でとっているような小刻み感がなくなって、16小節か、もっともっと大きな単位で。リズムをつくる時、実は大きくとるのが難しい。細かい方が堅固で安定しているからそれに頼ってしまう。でも大きなダイナミズムが生み出せるのは、大きくリズムをとるときだ。モンゴルの生活はそんなリズムがよく似合う。
感覚も普段よりもずっとずっと研ぎすまされていく。地平の彼方に目を凝らすうちに遠くの物がよりくっきり見えてくる。音がとてもよく聴こえる。馬の嘶きはまるで傍にいるかのようにハッキリ聴こえるけど、それでいて奥行きがある。風がはどこからともなく生まれて、馬と共に草原をかけていく。自然の移ろいに心をよせる。朝日が昇り、雲が流れ、巻き、立ち上り、そして夕日が地平に落ちていく。ゆっくりとゆっくりと夜がやってくる。黒い空の中に更に黒い雲が生まれる。稲光が遠くに見えるけど音は聴こえない。雲が去ると空は星に覆われる。星々は充分に明るく、人口の光はちょっと強いくらい。ずっと星を眺めている内、そこにあった星がいつの間にかいなくなり、新しい星が顔を出す。
僕らはこうした全ての出来事に感動する。都会で暮らしていると、環境に適応するために多くの感覚を敢えて使わないようにしている。受け取る細かな情報量が多すぎるのかもしれない。それがモンゴルの草原の中では徐々に解放される。リフレッシュと言うけど、つまるところ感覚が蘇ることなのかなと思う。
無闇に自然との共生を礼賛するつもりはない。都会での暮らしも好きだし、自然の中での暮らしには相応の厳しさもあるだろう。ただ感じるのは、経済的な優劣でもって彼ら遊牧民の暮らしを卑下してはいないだろうか?ということだ。憧憬や礼賛はその裏返しなのかもしれない。でも実際は違うベクトルだし、同じ地球上で暮らしていても価値観が違うように思う。そして僕らの暮らしはともすとるとシステムの奴隷だ。自然の移ろいに目をやる暇がないのはその証左だろう。モンゴルの短い滞在は、そのことをまざまざと見せつけられてしまうから厄介だ。
旅のきっかけは岡林立哉。2008年くらいからの付き合いだが、割と一緒に時間を過ごすことが多くなった音楽仲間だ。彼がずっとモンゴルのことを語ってきかせてくれるうちに興味をもった。毎年夏に企画している彼が同行するツアーに一度行ってみたい思っていたが、今年ようやく機会を得た。
何も考えずに、特に準備も予習もせずに向かった。換金もしなかった。モンゴルにいくのはこの位脱力していた方がいい、そう思っていた。旅行会社から前々日に電話があり「準備はお済みですか?」ときかれた時に「準備、ですか?」と聞き返してしまったくらいだ。後で乗馬の日が2日間も用意されていたと知ったときにはびっくりした。
初日と最終日はウランバートル滞在だった。モンゴルの首都だが、285万人と言われるモンゴルの人口の半数以上が集中する一大巨大都市。飛行機の上からみていると、草原の中に急に出現する街並は異様なほどだ。建設ラッシュがすすみ、街が急速に拡大している。ソ連体制下の社会主義から一気に資本主義へと転換がすすみ、インフラの整備はいまだに追いついていない。街の中では常に車が渋滞していたし、道路の舗装も所々途中で土埃が立ちこめていた。
岡林さんの意向で、この街の滞在はごく短いものだった。そのため語れるほど多くのことはみていない。写真は何点か撮った。実際のところ、街の写真はまだ画になるが、草原の写真を撮るのは難しい。撮ったあと見返すとこれっぽっちも感動が映り込んでいなくてガッカリしてしまうから、その内撮るのをやめてしまった。
折しもモンゴルについたその初日、Yahoo!ニュースにモンゴルの記事が載っていた。丁度EPA(経済連携協定)を提携したタイミングと重なっていたようだった。この記事をよんで少しモンゴルという国、経済事情に想いを馳せた。
2日目と3日目はホスタイ国立公園内のキャンプ宿泊。今回のツアーはバス乗車が最長8時間にも及ぶなど移動に時間を使った。ほとんどがデコボコの砂埃舞うオフロードで、舗装された道の有り難みを感じる旅だった。普段4WDの必要性を感じないがモンゴルでは逆に必要で、行き交う車がセダンだと心配するくらいだ。
車窓から見る草原の景色。もっと退屈するかなと思っていたが、見れば見るほど飽きなかった。後で知ったが、僕らが同じように感じる山や丘陵も、モンゴル人からすると大きく違うようだった。その景色の違いで道を見分けているようだったが、どこに向かっているのか、どの方角なのか、最後まで分からなかった。
草原の中に目を凝らすと、チラチラ動く影がある。タルバガンやゾルフ、というモルモット属の動物が巣から出てきていたのだった。タルバガンはとても美味しいらしく、食べてみたかった。
タヒとよばれる野生の馬もいた。世界中で1500頭しかいない希少な唯一の野生の馬。確かに飼育されている馬や競走馬と比べると体格がガッシリしていた。恥ずかしながら、野生の馬がそんなに希少だと初めて知った。そうか、馬はほとんど家畜なんだな。
国立公園というだけあって、野草や花々の種類も豊富だ。一面の草原というよりも丘陵が多く、所々白樺(モンゴル語でホスタイ)の木が生えている。標高も高く、生息している植物は高山植物が多い。ワレムコウの花が群生していて、珍しがって集めている人に岡林さんが「それはモンゴル語で『羊のうんこ花』と言うんです」とわざわざ声をかけていた。
4日目から6日目まではバヤウンジュールという草原のキャンプ場に移動した。ここでは主に馬に乗っていた。何でもモンゴルのツアーは乗馬プログラムが一番人気で、1週間馬にだけ乗るツアーもあるという。ここで生まれて初めて乗馬を体験し、生まれて初めて落馬も体験した(岡林さんから「落馬ウロンだね」と声をかけてもらった)。馬に乗った印象は、乗ったというより乗せてもらっている、と言った方が正しいかもしれない。馬は通常群れて移動するので、先頭をいく遊牧民のリードする馬についていく。途中多少方向を変えたり、止めたりすることはできるけど、自分の馬だけ回れ右をしたり、抜け駆けしたりすることはついぞできなかった。でも、そんな馬上から草原を見渡し、日を浴び風を感じながら、どこまでも行くのは気持ちよかった。鞍に擦れてめくれたお尻の皮と引き替えにしたけれど。
さて肝心の料理は、美味しかったです。今回は特に写真は撮ってないけどどれも美味しかった。特に肉。そしてその肉を使ったスープ。小麦粉をこねた麺が入った料理はどれもおかわりしてしまうほど。ホルホグという石焼の焼き肉料理が美味しいときいていて、キャンプ最終日はそれを食べた。材料となるのは羊だが、その羊を解体するところから見ることができたのはとても貴重な機会だった。解体する前の羊はオシッコをもらしていて、自分が屠殺されるのを分かっていたようだった。ひっくり返して、お腹を割き、すっと手を入れて心臓の動脈を切る。それで終わりのはずだったんだけど、その時は若い子が失敗してしまい、羊が苦しんでいた。彼はとても落ち込んでいて、途中人に代わってもらっていた。殺すけど苦しませないようにする、というのが彼らの流儀のようだった。その後はキャンプのオーナーが服も着替えず、どんどん捌いていった。驚いたのはその技術だった。血を一切こぼすことなく、数点の食べれない内蔵を除いて、全て綺麗に解体してしまった。後に残ったのは皮と頭だけで、頭は翌朝になるとなくなっていた。どうやら犬鷲が持っていってしまったらしかった。解体を一部始終みることで、食材に感謝する気持ちがより強くなる。本当にごちそうさまでした。
ほとんど多寡なく過ごした旅だったが、最終日のホテル探しで迷って、車がぬかるみにハマってしまったのが唯一のトラブルだったかと思う。でも暗闇の中から何故か屈強な兵士が数名現れ助けてくれた。まるで夢のような出来事だった。その後30分くらいかけて歩いて、有刺鉄線をくぐりぬけてリゾートホテルへ辿り着いた。予期しない良き旅でした。
最後にガイドの子に薦めてもらった比較的新しいモンゴルのバンドの動画をリンクしておくのでみてください。岡林さん曰く、少し前に流行った新しい形のバンドだそう。
2014年7月30日 トシバウロン
追記:写真はコメントをつけておくので是非ご覧あれ。
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